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2015/12/28(月曜) 20:19

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第217節~第227節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第217節~第227節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第217節~第227節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第217節~第220節

وَتَوَكَّلْ عَلَى الْعَزِيزِ الرَّحِيمِ

الَّذِي يَرَاكَ حِينَ تَقُومُ

وَتَقَلُّبَكَ فِي السَّاجِدِينَ

إِنَّهُ هُوَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ

「慈悲深く寛容な方[である神]に頼りなさい。汝が[礼拝に]立ったときに見ておられる方に。またひれ伏す者たちの中で汝の動き[を見ている方]。まことに神は、よく聞き、知っておられる」 (26:217~220)

 

前回の番組でお話したように、神は、反対者の罵りや嫌がらせへの対処として、イスラムの預言者ムハンマドに様々な指示を出しました。そのうちの4つについては、前回の番組で説明しました。5つ目の指示は、それまでの指示を完成させるものです。「忍耐と努力と共に、神を拠り所としなさい。神は全てのことを支配し、収められる。神が望めば、その意志に対して、誰も抗うことなどできない。以前の預言者たちが辿った運命の中でも見ただろう。我々はあれほど大きな力を持ったフィルアウンとナムルードを滅ぼし、ムーサーに権力を与えた。それ以前の反抗的な民を滅ぼし、預言者とその教友たちを救ったように」

 

神は続けて、次のように語っています。「神は何時がどのような状態にあっても見守っておられる。礼拝のとき、他の礼拝者たちの中にいるときも、また、多神教徒を唯一神の信仰に導くために立ち上がったときも。神は汝がどのような状態にあっても、汝が言うこと、行うことを知り、常に汝を支えておられる。だから神を拠り所とし、汝の道を歩み続けなさい。反対者に対しては断固とした態度で接するように」

 

第217節~第220節の教え

・自分の地位や財産、他人の権力や富に頼るのではなく、神を拠り所としましょう。神は慈悲深く愛すべき方であり、すべてを目にし、耳にする方です。そして、世界のすべての力を支配しています。

・宗教の指導者たちは、常に、神に見守られています。活動し、立ち上がるときにも、またひれ伏して礼拝を行っているときにもです。

 

第221節~第223節

هَلْ أُنَبِّئُكُمْ عَلَى مَنْ تَنَزَّلُ الشَّيَاطِينُ

تَنَزَّلُ عَلَى كُلِّ أَفَّاكٍ أَثِيمٍ

يُلْقُونَ السَّمْعَ وَأَكْثَرُهُمْ كَاذِبُونَ

「悪魔が誰に降りるのかをあなた方に教えようか。罪を犯す嘘つきに下るのだ。彼らは[悪魔の囁きを]聞き、その多くは嘘つきである」 (26:221~223)

 

この3つの節は、再び、コーランを、“預言者に対する悪魔のささやきだ”とするイスラムの敵たちの誹謗中傷に触れ、このように語っています。「悪魔たちは罪を犯す嘘つきの人間に入り込み、彼らに罪や堕落の拡大を奨励する。彼らもまた、悪魔の言うことに耳を傾け、罪と偽りにしたがって行動する。一方で、イスラムの預言者が、あなたたちメッカの多神教徒の間で取っていたときの態度は、誠実さと責任感、正しい行いのみである。あなたたちは今、預言者が偽りの主張を行っていると言い、その言葉を悪魔と結び付けているが、これまで預言者から嘘を聞いたことがあるのだろうか? しかも、預言者の導きの内容は、圧制や堕落からは遠ざかること、善と清らかさを奨励することのみである。だが悪魔は常に、穢れと裏切り、堕落を広めようとしており、人々にそのような行いを唆すのだ」

 

第221節~第223節の教え

・穢れた心は、悪魔のささやきを取り込む温床となります。

・嘘をつくことは、多くの罪や悪しき行いの源であり、耳は、人間の心に悪魔や悪魔のささやきが入り込む入り口となります。

 

第224節~第227節

وَالشُّعَرَاءُ يَتَّبِعُهُمُ الْغَاوُونَ

أَلَمْ تَرَ أَنَّهُمْ فِي كُلِّ وَادٍ يَهِيمُونَ

وَأَنَّهُمْ يَقُولُونَ مَا لَا يَفْعَلُونَ

إِلَّا الَّذِينَ آَمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ وَذَكَرُوا اللَّهَ كَثِيرًا وَانْتَصَرُوا مِنْ بَعْدِ مَا ظُلِمُوا وَسَيَعْلَمُ الَّذِينَ ظَلَمُوا أَيَّ مُنْقَلَبٍ يَنْقَلِبُونَ

「[預言者は詩人ではない。]詩人たちに従うのは、迷った人々のみである。汝は見なかったか。彼らがあらゆる砂漠でさまよっているのを。彼らは行いもしないことを言う。信仰を寄せ、ふさわしい行いをし、神の名を多く唱え、虐げられた後に助けを求める人たちを除いては。圧制を行った人たちはまもなく、どのような場所に戻るのかを知るであろう」 (26:224~227)

 

シュアラー章の最後の部分となるこの4つの節は、反対者たちのまた別の誹謗中傷に答え、次のように語っています。「預言者は詩人などではない。彼の言葉は真理と事実に基づいているのであって、詩人のような空想に基づいたものではない」

預言者の時代、ヒジャーズの地には多くの詩人が暮らしていました。彼らが作る詩は、多くが、愚かで偏った考え方、空想的な愛情、放蕩、部族紛争といったものを表現し、誰でも、より空想的な詩を歌うことができれば、その詩がメッカの優れた詩に選ばれ、神の家・カアバ神殿の壁に飾られていました。当然のことながら、このような詩を暗誦し、広めようとするのは、神の教えから遠ざかり、空想に浸っていた人々でした。

 

詩は通常、論理に基づいたものではありません。それどころか、例えや比喩によって、空想力をより高めるものです。詩人は、他人を称賛したり、非難したりすることで盛り上げ、たいてい誇張します。詩人は当然、行いや行動ではなく、語りや技巧が得意です。また、戦闘よりも宴を愛し、彼らの詩は、戦闘よりも宴にふさわしいものです。とはいえ、詩人の中には、善良な人もいます。彼らは、事実に基づいた詩を書き、行動や思考を重視します。とはいえ、コーランは、このような人々を例外とし、次のように述べています。「敬虔で善良な詩人たちの詩は、人々に神のことを想い起こさせ、圧制や独裁に対する蜂起や正義へと社会を立ち上がらせる。そうして圧制者に対し、まもなく彼らが滅びること、敬虔な人々が彼らに勝利することを思い知らせるのだ」

 

第224節~第227節の教え

・価値のある芸術とは、正しい思想を基盤にし、人々に貢献し、社会を改革するためのものであって、悪魔のやり方や誤った考え方を広めるものではありません。

・イスラムの考え方では、詩とは道徳的、宗教的な価値観を社会に広めるようなものこそ、価値があるのであって、若者たちを無意味なことや虚無へと向かわせる詩に価値はありません。

・コーランは、詩や物語、演説などによって、人々を惑わし、無意味なものに夢中にさせることを非難しています。とはいえ、ここでは、美しさと独特の影響力から、詩を例に挙げています。

・神は圧制者たちを待ち構えています。

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