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2013/10/09(水曜) 20:35

ウルフ・カールソンさん

ウルフ・カールソンさん

人間には、ごく自然に純粋な美を求める本能が備わっており、それは人間の特性のひとつでもあります。私たちは自然な形で窓から青い空を眺めて楽しみ、花をみて、その匂いをかぐのを好み、美しい絵画作品を鑑賞しますが、時折、こうした感性が非常に研ぎ澄まされ、それにより芸術作品を生み出すことがあります。そのため、芸術は、創造世界の真理の多くの部分を見る為に、世界に対して開かれたもう一つの目であるとされています。

 

イスラムの聖典コーランは、人間は感覚的に熟考するよう人間をいざなっています。つまり、これらを通じて理知的な内容を理解するべきで、感じることだけに留まっていてはならないのです。コーラン第3章アール・イムラーン章イムラーン家190節では、「確かに天地創造、昼と夜の往来の交替には、理性や叡智を持つものたちへの徴がある」と語っています。

このため、自然の中で考えることは、人間を目覚めさせ、変化を生み出すものとなるでしょう。現代文明は、表面的には新たなものに変わることを阻止しませんが、機械化された生活により、人間は自分を喪失し、自分に対して無関心になっています。現代人は、型にはまった生活の影響で、心と体がマンネリズムに流され、地上を支配する神の代理という、人間の崇高な真実から遠ざかっているのです。現在の文明社会の原則に対する不信感や失望は、あらゆる場所において明白に見て取れます。しかし自然や天地創造の美しさは、人間に変化を促す学びの題材のようなものです。預言者ムハンマドの言葉によると、「世界の変化に対して疎い者は、最も不注意な人間の一人である」とされています。

新たにイスラム教に改宗した、スウェーデン出身のウルフ・カールソンさんは、神に対する信仰心や宗教信仰を持っていませんでした。しかし、彼は常に自分の中で失われた何かを求めてさまよい、自分の身の周りの環境の驚異的な特質により、考えさせられていたのです。カールソンさんは、次のように語ってくれました。「私は神をまったく信じておらず、宗教的な物事や宗教の問題は自分には全く分からない、遠い存在のように見えました。しかし私は、写真に興味を持っていたので、自然やその美しさに大いに注目していました。一度森林公園で撮影を行なっていたとき、自分の周囲の自然を見て考えさせられ、自分がある偉大な源、そして自分より大きなものに属しており、これらの創造物の一部なのだと感じました。これら全ての美しさや驚くべきものは、創造されることなしに存在することはできないと確信していました。こうした考えから、私は現世の真理を理解する為、神を求めようとしたのです」。

カールソンさんは宗教的な人間ではありませんでしたが、家族が宗教的だったことから、キリスト教信仰に基づいた情報は持っていました。しかし、彼が抱いた一部の疑問について、キリスト教の中では納得できる回答を得ることはできませんでした。このため、彼は他の宗教を知ろうと努力するようになったのです。これについても、カールソンさんは次のように語ってくれました、「私がどのくらいの期間にわたって真理をもとめていたかについては、正確には分かりません。ただ、キリスト教は自分の必要を満たすことはできないということに気づきました。私は、神とその僕たちの間に介在する全てのものを信じることができず、いわゆる半分は神で半分は人間という人物を崇拝することは、私にとってとても奇妙に思えました。私は調査を開始し、様々な宗教を知りました。しかし、そのいずれも私の疑問に答えてくれないばかりか、私の疑問はさらに増えていったのです。そんな折に、私はインターネットを通じて、イスラム教徒の友人を得ました。彼の強い信仰心が、私の心に語りかけてきました。彼の揺ぎ無い確信は、私にとって驚くべきものでした。その友人がこれほどイスラム教とその教えに詳しく、それに強い信仰を持っていたことから、私にとってイスラム教の勉強は魅力的なものとなりました」

コーランの観点から見ると、現世は天地創造というノートの1ページのようなものであり、人間に対し、世界で発生する現象を調査するように観察し、熟考するよう呼びかけています。これにより、コーランでも、今日、コーランの奇跡的な側面や、学術的に詳細な事柄と見なされている真理が提示されています。このため、コーランを勉強する全ての人は、その疑問の大部分に対する答えを得ています。カールソンさんは、イスラムに出会った後、コーランを学ぼうと決意しました。このことについて、彼は次のように語っています。

「コーランの勉強やその節を解釈することは、日を追うごとに私にとってより魅力のある甘美なものとなりました。私は、自分にとっての疑問と曖昧な点の全てについて、コーランの中に答えが示されていると感じていました。このため、より深くイスラム教に魅せられていったのです。コーランの中の論理や論拠、実践的な真理、これらの全ての要因により、私はこの書物が人間の語った言葉ではなく、人間を超えた崇高なる存在が語った言葉であると信じるようになりました。その結果、私には確かな形で神の存在への信仰心が芽生え、預言者ムハンマドが神の預言者であることを受け入れ、こうした信条に到達した時にイスラム教に改宗したのです」

カールソンさんはイスラム教徒になろうと決心した時点では、新しい人生における困難を恐れていました。彼はこのことについて、次のように語っています。「イスラム教に改宗したいと思ったとき、ある種の恐れを感じていました。イスラム教徒に関する情報はほとんど持っておらず、私は宗教を持つ人間を、軽蔑や疑いといった視点から見ていました。もし自分の感覚や思考を追求した場合、どのようなことが起こるか恐れていたのです。私は、自分に起こる可能性があった物事を恐れ、自分が将来どうなるのかと心配していました。私はイスラム教徒がほとんど存在しない社会で生活していました。イスラム教徒の人がいるところに行くまで、およそ1時間かかっていましたが、必要なときにいつでもイスラム教徒の人を見つけることはできませんでした。一方、イスラム教とその至高なる教えの魅力は、私にとって日増しに強くなり、自らの方向に私を引き寄せていました。こうして、私は全てを神に委ねてイスラム教に改宗しました。神も常に私を助けて下さり、私の抱えるあらゆる困難が軽減されたのです」

本当の安らぎを手に入れることは、人類が常に欲してきたもののひとつです。このことから、人間は歴史の中で努力し、心から多くの苦しみを受け入れてきました。しかし、こうした多くの努力は実を結ばないままとなっており、今日研究者たちは、精神的な安らぎのためには宗教によりどころを求め、創造の大いなる根源である神とつながる必要があることに気づき始めています。イスラム教が最も完成された宗教の終着点であり、その中には安らぎの根源が存在することから、イスラム教を信仰する人は、誰でも永遠の安らぎを感じるでしょう。カールソンさんも、イスラム教に出会ってからは、自分は以前よりも穏やかになり、喜びを感じるようになったと分かりました。彼はこれについて次のように語っています。「このようなことが、どのようにして起こったのかは分かりませんが、現在、とても幸せです。以前に感じていた生活上のストレスは、もうありません。信仰心に目覚めたことと、神のお加護により、私は安らぎを手に入れました。友人からも、あなたは大変穏やかで、より快適に生活し、特別な安らぎと尊厳を手に入れましたね、と言われています」

カールソンさんは最後に、このように語ってくれました、「最終的にイスラム教は、私のあらゆる成長の要因となりました。私はあらゆる面で大きく成長したと感じており、もしかするとこれは、私が他の安らぎを求めなくなったからかもしれません。私は既にある安らぎを得ており、この点は、以前の自分と比べた際の最も大きな相違点でしょう。そして、これこそは私がイスラム教徒になったことの結果なのです」。

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