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2013/11/25(月曜) 23:46

クワンさん

クワンさん

マレーシア出身の男性、クワンさんは、仏教徒の家庭に生まれました。彼は、6歳のときから中華学校に通い、儒教と出会います。9歳のときには、マレーシアの首都クアラルンプールにあるビクトリア・スクールで英語を学びました。彼は、しばらくしてから新約聖書の存在を知り、数年後にキリスト教徒になろうと決心します。クワンさんは教会で説教を行なう聖職者となるほど、キリスト教を勉強しました。しかし、ある日教会に向かう道の途中である人と知り合い、これがクワンさんの人生行路を大きく変えることになります。クワンさんはその日のことについて、次のように語ってくれています。

 

「説教の為にマレーシアの内陸にある町・クアラリピスの教会に行くとき、しばらく前に知り合ったインド人のイスラム教徒に会いました。その人はその日、英訳版のコーランを私にプレゼントしてくれたのです。彼の名前は、カーカー・ムハンマドといい、他の人にイスラム教の教えの原則について教えることに大きな関心を持っていました。このため、彼は英語の翻訳のついたコーランが手に入ったら、それを私に渡そうと決めていたのです。私は、彼からコーランを受け取ったその日から、この本を勉強してみようという好奇心にかられました。はじめに、その内容の美しさに感動しましたが、自分の宗教を捨てるまでには至りませんでした。それからしばらくして、私は各教会の一部の対立や緊張に驚き、不快感を感じました。こうした対立や一部の他の問題をきっかけに、私は少しの間考え込み、イスラム教に触れてみようと決心することになります。私はこのため、再びコーランを勉強しました。しかし今回、私は真剣に、かつきちんとコーランを読み、そしてその内容に非常に強い影響を受けました」

コーランは下されてから、多くの人々の心に影響を及ぼし、その特別な魅力により、驚くべき速度でそれを聞くものたちに影響を与えてきました。コーランの驚くべき影響とは、その奇跡的な側面であるということは疑いようがなく、普通の人間がある書物により、これほどまでに影響を受けるということはまず不可能です。コーランの影響のもとで、現在のサウジアラビアのメッカの多神教の指導者たちまでもが、暗い路地裏を通って預言者ムハンマドの家の裏に立ち、明け方までコーランの朗誦を聞いていた、ということが繰り返し伝えられています。しかし、メッカの多神教徒や不信心者はコーランの雄弁さや内容の美しさに対して、自分たちが無力であると悟ったことから、預言者ムハンマドを呪術使いと呼びました。これは、彼らがコーランのような書物を書き記せない、ということを認めたことを示すものです。

多神教徒たちは、メッカを訪れ、通常カアバ神殿のほうに行く人に対して、綿を耳の中に強くいれて耳栓とし、魔法の言葉を発する男の声を聞かないように忠告していました。この永久的な奇跡は、今日もあの大きな影響力を持っています。この奇跡こそはまさにコーランであり、1400年以上たった今でも、時間的制約や場所的な制約を受けていません。クワンさんはまた、次のように述べています。「私の注目を惹きつけた興味深い事柄の1つに、イスラム教が唯一の神を大変に強調していることが挙げられます。私が思うに、これがイスラム教とキリスト教の最も重要な違いでしょう」

クワンさんが関心を持ったもうひとつの問題とは、イスラム教の教えとコーランが人間の存在におけるあらゆる側面に着目しており、過激主義を遠ざけていることです。イスラム教の視点では、人間は現世に限定される物質的な存在ではなく、物質的な存在を超えた永遠の生命を持つ存在であるとされており、人間の全ての行動や威信はその人の最終的な運命と関係があります。つまり、現世でのあらゆる努力は、永遠の幸福や不幸に影響を及ぼすのです。このため、人間が社会、政治、経済面の問題の中で、どのような行動を選択するかは、来世の幸福、あるいは不幸に決定的な影響を及ぼします。クワンさんは人間の存在の全ての側面に注目しているイスラム教の正当性を称賛すると共に、人間や世界を一面的にしか捉えていない宗教を、次のように批判しています。

「私の考えでは、世界は、一部の宗教の一面的な見方や、一方的な判断に苦しめられています。それらの一部はただ精神的な面だけに気を払い、物質的なものを全面的に無視しています。一方、一部の宗派は人生における倫理や精神性を全面的に無視し、それを空想的なものであると仮定しています。この2つのタイプの思想は、人間を安らぎや安全から遠ざけるだけでなく、世界の平和や安定を奪ってしまうと言わざるを得ません。なぜなら、戦争や対立、緊張の多くは、過激主義者が利己主義や権力欲、そして内面的な欲望をよしとすることにより発生するからです」。

クワンさんは、自分がこれまで述べてきたことを証明する為に例を挙げ、そして現在西側諸国で起こっていることを査定し、次のように語ってくれました。「今日、バランスの欠如が世界、とりわけ西側で明らかになっています。西側は、立派で豪華な外観を有する建物に見えますが、一方でその内部は空虚で脆いものです。それらはいわば、1つの入れ物として表面的には正確に美しく設計されていますが、その内部では緊張や不和が絶えません。彼らは知識を肉体的な快楽のために利用していますが、一方、自らの精神を貧困や混乱の中に放置しているのです。物質的な文明の危険性とは、精神性をなおざりにしていることであり、精神性を人間の物質的な欲求の為に利用していることであるといえるでしょう。私はイスラム教を勉強したことで、この宗教が人間の存在における過激主義からかけ離れていることを理解したのです」

クワンさんが注目したイスラムのもう一つの特性とは、イスラム教の法と戒律の包括性です。イスラム教の包括性は、その目的と啓示にそったものです。コーランや言行録を一瞥すれば、イスラム教の目的が現世と来世における人間の幸福を保証することにあることが分かります。現世での事柄や社会的な関係が人間の精神や成熟に大きく影響し、人間の本当の幸福を保証することから、イスラム教は最後の天啓の宗教として、これらの事柄に干渉せずにはいられず、それらの全ての事柄のための包括的な計画を提示しています。言い換えれば、コーランは人間の幸福の為の計画を、神の唯一性という基盤の上に設定しており、その結果として最後の審判の日への信仰を強調しているのです。そして、最後の審判の日という原則に注目し、預言の必要性を提示しています。なぜなら、最後の審判の日で最も重要とされる、行動の善悪による賞罰を受けるには、先ず神の啓示や預言者によって示された、神の命令や禁則事項を知らなければならないからです。

このため、宗教の包括性が目指すところとは、人生の全ての側面において全ての必要な叡智や見識を人間に与えることです。クワンさんは最後に、次のように語ってくれました。「イスラム教は物質的、精神的なものの間の交差にとって興味深い計画を有しています。イスラム教の戒律は非常に論理的で、論証できるものです。コーランはそれ以前の天啓の書を認めており、唯一神信仰の素晴らしさを語っています。この書物では、預言者たちの生涯の話が大変興味深く語られていると共に、復活や最後の審判の日について、確かな論証が行なわれています。このような特性により、私は42歳にしてイスラム教に改宗し、イブラーヒームという名前を自分の為に選びました。私はイスラム教徒になったことで、より強く神に感謝しており、また大変幸せだと感じています」

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