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2014/01/06(月曜) 23:21

クルトさん

クルトさん

イスラム教は、複数にまたがる独自の特徴を持っている宗教で、そのいずれも、真理を追求する強い動機となりえるものです。しかし、全ての人にとってはそのうちの1つが目立つものであり、人をひきつけます。カナダ出身の男性、クルトさんは創造世界の現象を考える中で唯一の創造主の存在を理解し、次のように話してくれました。

 

「私は常に、この世界は創造主の存在なしに出現することはありえないと考えていました。自分の身の周りのもの、即ちこの美しい空や、驚くべき輝きを持った星、広い大地、人間やその他の存在物が創造されたことに目を向けると、全ての人間はこれら全ての美しいものの創造主について考えさせられます。私は、自分の周囲にあるこれら全てのしるしについて考えたとき、簡単にその自然の秘密を解き明かすことはできませんでした。このため、諸宗教の真理について調べ、その世界の驚くべき真理を理解すべく、わたしは日夜それについて考えていました」。

クルトさんはまた、次のように語ってくれました。「確かに、今日の西側の人々は、神の存在を否定せず、自分を一応キリスト教徒だと考えてはいますが、キリスト教徒であることは、彼らにとって単に祖先から受け継がれたものでしかありません。私は他のキリスト教徒と同じように、その原則がどのような基礎の上に成り立っているか、また自分がキリスト教徒であることの目的は何か、ということが分かっていない宗教を盲目的に求めたくはなかったのです。結局、はじめはキリスト教を勉強し、それを理解することから始めました。このときまで、私は三位一体説をそれほど重視していませんでしたが、この偉大なる世界を、いくつもの崇拝の対象が管理するということを受け入れることはできませんでした。この世界は人類を超えるシステムを持っており、全能の唯一神を必要としています。それは、もし複数の神々が私たちの世界を支配していたなら、そのシステムは崩壊していたはずだからです。キリスト教聖職者の話に耳を傾け、この問題について議論を重ねるごとに、私の疑念はさらに大きくなり、心の安らぎも失われてしまいました。結局、私はキリスト教に見切りをつけ、ユダヤ教について調べ始めたのです」。

イスラム教は、アラブのみの宗教ではなく、世界的で全人類の為の宗教です。これは、現在のユダヤ教とイスラム教の大変重要な違いです。クルトさんはキリスト教の後、ユダヤ教について調べ始めました。彼はこれについて、次のように語ってくれました。「精神性の点で、ユダヤ教にも興味深いものがあることが分かりますが、それは非常に少なく、決して大勢の人々の心の渇きを癒すことはできません。ユダヤ教について勉強すればするほど、その思想と世界観に関する問題に気づきました。私が理解したユダヤ教の大きな問題とは、自分たちを地上においてより優れ、神に選ばれた民族だと見なし、ユダヤ教徒でない人間はユダヤ教徒に奉仕する為に創造されたと考えていることです。彼らの信仰では、神はユダヤ人のみのもので、全ての人のものではないとされています。健全な理性を持っていれば、この壮大な天地を創造し、地上に多くの人間を作り出した神が、特定のグループの人々のみのものであるということは受け入れられません。ユダヤ教も、私が寝食をも忘れて求め歩いていた真理とはなりえなかったのです」。

様々な宗教について多くの研究を行なった後、クルトさんは遂にイスラム教を調べようと決心しました。これについて、クルトさんは次のように話してくれました。「今度はイスラム教について勉強しました。しかし私にとって、イスラム教の勉強を始めるのは非常に困難でした。私は、西側のメディアを通して知ったイスラム教から、イスラムの真理を得ることはできないということを知っていたのです。しかし、イスラム教の最も偉大な資料、聖典コーランに初めて出会ったとき、別の道を得ました。コーランの中で、奥深い内容やゆるぎない真実に直面し、その全ての節は私の驚きをより大きくしました。コーランこそは、私が無くしていた本であり、長年探し回っていた真理だったのです。その節はいずれも、台風のように荒れていた私の心に安らぎをもたらしてくれたのです」。

コーランは、世界中の多くの関心を持つ人々が毎日学んでいる導きのための書です。世界で、15億人のイスラム教徒や、それ以外のかなり多くの人々までが、コーランの原文、あるいはその翻訳を様々な言葉で呼んでいます。フランスの思想家ラブームは、コーランが理性と賢明さに適うものであることから、この書物が特別な目新しさを持ち、世界中の多くの人の人生の原則となっていると考えていました。ラブームは、「コーランはどの時代でも生き続け、いつの時代においても知識を求める勉強家は、理解の度合いによってコーランから利益を得る」と語っています。

コーランの美しさは、クルトさんを魅了しました。彼は次のように語ってくれました、「コーランは間違いなく天地を創造し、自然界に2つとない支配者である唯一の神について語っています。コーランは神の真理の言葉であり、人間の言葉ではありません。この聖なる教えにより、人間は直接神と関係を持つことができ、キリスト教の聖職者は必要ありません。コーランはイーサー、つまりイエスキリストやムーサー、すなわちモーゼについても語っており、彼らを唯一神信仰に人々を招きいれた偉大な神の預言者であるとしています。今日、西側諸国のメディアが、イスラム教徒はテロリストであると声高に吹聴していいますが、コーランには、そのようなテロ行為や暴力行為を命じる節は見当たりません。私は逆に、イスラム教は平和の宗教であり、同胞愛の宗教だと理解しています。私は、勉強と研究を重ねた結果、イスラム教が最も完全な宗教であることが分かりました」。

クルトさんはイスラム教について知った後、イスラム教徒に会ってみようと決心しました。クルトさんはこのことについて、次のように話してくれました。「初めて数人のイスラム教徒と会ったとき、自分はこのときまでこれほど親切で落ち着きを持った人々を見たことがなかった、ということを認めざるを得ませんでした。彼らは私をこころよく歓迎し、忍耐強く私との議論に付き合ってくれました。私はこの方法を続け、さらに多くのイスラム教徒と知り合いになろうと決心したのです。(そこで、)私は、あるモスクに行きました。イスラム教徒のモスクに入るのは初めてでしたから、少々不安はありました。しかし、初めて会ったときのような歓迎を受けて、不安と恐れはなくなりました。実際、イスラム教徒はとても忍耐強く、優しい人々であり、互いを兄弟と呼び、良いことをする中で互いに助けあい、悪いものを遠ざけていました。彼らはとても忍耐強く、私のイスラムに関する疑問に耳を傾け、実際に納得のいく答えを与えてくれました。こうして私は、次第にイスラム教が人生に幸福をもたらす道であるはずだということを理解したのです」。

最終的に、クルトさんはイスラム教徒であると宣言することを決心しました。これについては、このように話。、「ラマザーン月のはじめ、モスクでイスラム教徒の同胞の立会いの下、イスラム教に改宗し、唯一の創造主に対する信仰告白を行いました。私はイスラム教の栄誉を受け、その年のラマザーン月から礼拝と断食を始めました。私が始めてのラマザーン月に、同じイスラム教徒と共に崇拝行為を行う経験をできたことは、神の恩恵だったのです。はじめは私の生活をイスラム教の命令に一致させることは、少し困難でした。しかし、神の恩恵をうけ、その問題は軽減されました。イスラム教は私の人生を大きく変えました。なぜなら、イスラム教に沿った行動とイスラム教徒たちの中での生活は、私の人生における偉大な教師だからです」

クルトさんはイスラム教に改宗したあと、自分の人生は目的を持つようになったとしています。クルトさんは最後に、次のように話してくれました。「人間は日々の生活の中で、快い事柄と不快な事柄をたくさん経験しますが、人間に対する神の満足を得ることによる楽しみには、また別のものを感じます。真理を追求する人にとって、努力や苦労なしに真理を知ることは簡単なことではありません。他の人から聞いた事柄については、自分で調べ、それから判断すべきです。また、常に神に対して導きを求め、常にあなたを取り巻く主要な関係が神であり、その関係が強いものであるよう努力すべきです。わたしは実際、私がイスラム教を得たのか、イスラム教が私を得たのか、わかりません。しかし神は真理を追求し、神を認識する人を導くでしょう。神を信仰し、その満足の為にあらゆる苦労や非難に耐えるべきです。神が私たち全員に恩恵を与え、ある日全ての人々に、イスラムの真理を知らしめて下さいますよう願っています」。

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